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神奈川県-東京−日本

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© 2010-2017 HIROSHI HASEGAWA

  • 長谷川光志

音楽への目覚めとものまね


最近のものまね業界に明るくない。


今のものまね業界は清潔になり過ぎた気がする。

僕らのように80年代後半から90年代に青春時代を過ごした人間にとっては、いつまでたっても「ものまね」といえば「コロッケ」であり、「清水アキラ」なのである。

コロッケがマネする美川憲一によって美川憲一を知り、清水アキラがマネする橋幸夫によって橋幸夫を知ったのである。


現代のものまね芸人にはまず、美男美女が多い(気がする)。男性ものまね芸人だって、そのまま女性誌のグラビアを飾ってもおかしくない(というかとっくに飾ってるのだろうが)ようなハンサム具合だ。これでは困る。


なんでこんな話をするかといえば、自分の音楽への目覚めには、ものまね番組が大きく影響を与えているからだ。幼少期に自分の知らない数々の名曲を教えてくれたのは、あの「ものまね王座決定戦」にほかならない。今のように自分で調べてCDを買ったり、ネットで未知の音楽に簡単にアクセスできるようになる前、少年時代の僕らにとってはあの番組こそが音楽の教科書であり、ジュークボックスだったのだ。


決して見逃すことはなかったし、毎回VHSに録画をして、それこそ擦り切れるまで見直して研究したものだ。

コロッケのマネする美川憲一を真似した少年はごまんといたはずだ。

清水アキラの村田英雄で、あの口鼓(口を丸く開けておきそこにうまいこと手のひらを叩き当てると鼓のような音がするアレ)を練習した少年はごまんといたはずだ。

あの頃僕らに洋楽を教えてくれたのは他でもなく、ビジーフォーではなかったか。


そしてものまね王座決定戦は、人生と芸における厳しさをも教えてくれた。そう、審査員の中には誰もが恐れる絶対的なドンとして「淡谷のり子」先生がいたのである。

淡谷先生はいつでも厳しかった。淡谷先生を常に怒らせながらも自分の持ちネタをやり続ける清水アキラの姿に、男として芸人としての矜持を見た少年は多いのである。


これではいつまでたっても、ものまねといえばコロッケであり清水アキラだ。


コロッケによって千昌夫を知り五木ひろしを知ったのだ。本物の松山千春の頭はパカッと開かないけれどスキンヘッドだということものちに知るのである。ちあきなおみは言うに及ばず、ちゃんと歌ってもいないし絶対に似ていない工藤静香のマネでも"99点"をたたき出せるという、人生の大事な局面における「コツ」のようなものすら教えてくれた。


そして清水アキラは、その背中で男の生き方を語っていた。大事な一戦でなぜか得意の下ネタに走り敗退するというその姿に、"どんな時でも自分を曲げてはならないんだ"という強烈なメッセージを受け取った男子は少なくないはずだ。

春日八郎の「別れの一本杉」を「別れの一本○」とどうしようもない替え歌にした(これは今見ても名演!)放送の翌日には、実際に小学生が登下校中に春日八郎を歌っていたのである。俺だけど。


そして録画したビデオを繰り返し見て、より正確に清水アキラの春日八郎が、谷村新司が、井上陽水ができるよう研究したものだ。YouTubeがない時代、ご本人を知らずに「お富さん」や「さいざんす・マンボ」を覚えていくのは、ものまね王座決定戦という番組がなければできないことだったのである。


紐解けば本当にさまざまな思い出が蘇ってくるが、あんなに華々しかったものまね黄金時代に変化を感じ始めたのは、同番組でダチョウ倶楽部が優勝したときと、あとはやはり淡谷先生がなくなられたときか。



数年前、同じく当時「ものまね女四天王」のひとりとして活躍した松居直美とのジョイントコンサートがあって、はじめて清水アキラを生で観た。

夢中になった少年時代から約20年の時を超えて、目の前で"レオタードに股間から白鳥"というあの衣装で橋幸夫の「恋のメキシカンロック」を歌い踊る清水アキラを見て、二つの意味で涙したのである。


音楽の目覚め、そしてルーツは人それぞれ。

とにかく音楽はいろんな形で伝わっていくのだという、そんな話がしたかった。


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