長谷川光志
夜は暗いもの

夜は暗いもの。
少し前の話になるが、ラジオの収録のためJR東海道線の大磯駅に降りたときのこと。久しぶりのラジオ出演に心躍らせつつ、話したいことを整理するため早めに駅に着いてゆっくりしようと思っていた。駅を降りたら喫茶店のひとつもあるだろうと思っていた。
時間は夜の7時を回ったくらいだったと思う。
改札を抜けて駅外へ出ると、見事に何もない。いやあるにはあるがすべてシャッターは降り、まさしく閉店ガラガラ状態なのである。
暗く、何もないのである。
夜風をしのぎつつ腰を落ち着けてコーヒーを飲みながら手帳をパラパラする場所はないのだ。
何もないと人は歩くのだ。
何かあるかもしれないと思って歩く。
そして、歩いても何もないということを悟るに至って、人はただ歩くことが楽しくなって歩く。
何もないというのは嘘で、目立たないようにひっそりと立っている石碑や怪しく神聖な無人の神社、タモリさんが喜びそうなイケてる坂道がそこかしこにあるのである。
目的があるとき、人はこういう当たり前にそこにずっと存在している有名無名の存在に気づかない。
生放送前の一時間、駅の周辺をくまなく歩いた結果、その辺りで一番明るかったのは無人のコインランドリーと、その先にある肉屋であった。肉屋の店先は無人だった。
夜の闇と土に触れることを忘れたら、人間はきっと人間であることを忘れるだろう。
そして夜の闇は、人間の想像力をもっとも豊かにしてくれる自然の恵みであると思う。
かつて夜の闇が数々のもののけや妖怪を生み出した。見えないものの中にあらゆるものを見出し命を与えた、日本人がイマジネーションを生き生きとと発揮した時代のことである。魑魅魍魎が跋扈した時代や水木しげるの描いた妖怪漫画がどうしようもなく好きなのだが、話を広げ過ぎるとよくないので今回はやめておこう。
夜が暗い場所が好きだ。