top of page
  • 執筆者の写真長谷川光志

うちあけばなし

9月というとなにをかくそうマイ誕生日月間なので、毎年テンション上げ上げでのぞむ大切な季節です。


毎年自分の企画ライブなんかをやったりもしてきたので単にひとつ年齢を重ねるだけではない節目、という感じできました。今年はなんと誕生日記念にワンマンライブを!と打ち出してやってきたそんな折、俗に言う「こころの風邪」というのをひいてしまったのです。ほんとうに「なんてこった」な状況でありました。


まったく人生にはいろんな季節があります。

良いことも悪いこともたくさん起こります。

それが悪いことかは自分の心の持ち方ひとつ、なんて思ってみてもそうたやすくひっくり返せないこともたくさん起こります。

はじめて「心療内科」にかかりました。

実際行くまではとても抵抗があったけれど、受診してみると「ああこんな感じなんだ。もっと早くくればよかったな」と思いました。


そんな渦中で、やるかどうか(というよりやれるかどうか)相当に悩んだワンマンライブだったけれど、決行したんですね。あの日ばかりはステージを終えるまで本当にどんなライブになるか、いやそもそもライブの体をなすものになるかどうか、それすらわからなかった。途中で糸が切れて投げ出してしまうかもしれないとか、涙が止まらなくなって歌えなくなるかもしれないとか、本気でそんなことを考えて不安になったんです。でも聴きに来てくれたみんなに力をもらった感じで、結果的には良いライブになりました。今でも嘘みたいな、信じられないことです。あの日ビッグマウスに居てくれたみんな、本当にありがとう。


そもそもブログにこういうことを書くこと自体が今までの自分ではあり得ないけど、でもこれも回復していくプロセスかなあと思ったんだよね。これまで「自分はこうありたい、こういう生き様を見せたい」って理想がきっと人一倍強かったんだと思うけど、今はなんだかね。一回さらけ出していいんだなあ、俺思ってたほど強くないし弱いとこばっかりだもんな、まあそれにしてはいい歌うたうしカッコいいとこもあるじゃん、くらいに思うのね。

「何度でも立ち上がる」ってさんざんぱらみんなに言ってたわけだけど、やっぱり自分にも向けてたんだな。くじけるときもあるよ、それでもいいよ。でもそのあと、きっと立ち上がるんだぞって。


あるとき「あ。これかなりヤバイ状態」って気付くんだけど、そのときにはもう引き返せないくらい来ちゃってる。俺の場合、問題はかなりハッキリしてたんだけど、どんなことも自分に引き寄せて自分を責める連鎖になっちゃう。これがキツいんだ。自分を愛せない状態ってのは本当に辛いんだと、自分の体験として感じられた。これはきっと大きなことだと思う。


それからずっと沼の底にいて、浮き上がる方法を忘れてしまった感じだった。

朝、起きたら沼の底にいてそこからスタートする感じ。なーんもしたくない、する気にならない。動きたくない笑いたくない。だけどどこかで冷静な自分が、それはおかしな状態だぞと囁いてるような、今考えるとこの頃が一番ヤバかった。


それから、今やらなければならないことを一回全部やめた。毎日こんなに時間があるのかと思いながら、それでもあっという間に過ぎていく日々。一番ショックだったのは、音楽を聴いて一ミリも心が動かなかったとき。今は休むときなんだと心の底から思えた。

休息の日々は焦燥の日々でもあって、この焦燥をどうやって打ち消すかの試行錯誤の日々でもあった。こんなことでいいのかと言ってくる自分自身の声に、どうやって答え納得させるかの戦いだった。


沼から顔が出て、胸まで出て、今は膝から下が浸かってるような、そんなところまで来た。だからずいぶん体が軽くなった。そしてなにより新鮮な空気を吸える!それがとても嬉しいのだ。

早く沼地から飛び出して、草原を駆け出したいと思うけれど、これがなかなか難儀なところで「焦るな、ゆっくり行け」と言い聞かせている。ここまで来たんだから、一歩ずつ戻ればいいじゃないかと。


どんな経験も糧になると思っていたし、歌うたいという性質上それは大きな武器になると思ってきた。いろんな思いを経験して、歌を書いてきた。でも今回思ったよ、こんな経験しなくて済むならしないほうがいい。それも絶対に。絶対にしたくないしさせたくない、そんな思いも含めてまた大きな経験ができたんだととらえれば、これからもっと深くてもっと強い歌がうたえる気がしてる。もっと優しくて芯に迫る歌が書ける気がします。


と、ここまで書いたのは書いちゃってもいいかなあと思うとこまで戻ってきたことでもあるし、一回全部壊したとこから始めてもいいやと思ったのもあるし、さらけ出して楽になりたい気持ちの表れかもしれないし、でもやはり未来に希望を持ってる証拠な気がするので、いいでしょう。よしとしよう。

そうです、俺こんなに弱くて迷って一回ドロップアウトしちゃうような人間だけど、まだ人が好きだし愛したいし、人を愛した結果としてのいろんな歌をうたっていくんだという誓いを込めて。


さてこれからどうなるか、自分でもわからないからこそハラハラもするし、期待もある。ぐしょぐしょに泥まみれ。それがまた青空の下ででっかい歌をうたう、そこに向かう姿ってのもなかなかのドラマだろうと。



心配しないで、僕は今ポジティブさ

決して後ろ向きな意味じゃなく

全部忘れようと思うんだ ---Not too late---

迷いを吹っ切る10月最後の日に。




0件のコメント

最新記事

すべて表示

シンガーソングライター、長谷川光志って いったい何なのだろう と考えてみる。 考えるほどわからなくなる代表格みたいな思いつきの疑問だけれど、考えてみたくなるときだってあるのだ。 ありもしない答えなら自分で作ればいいし、答えに近づくには比べないことだと思った。ただ自分で自分を「これが自分だ」と言えることってなんだろう、と。 それだけのことが難しい。 いったい僕はこれまでなにを支えにして、なにを指針に

歌と夢

bottom of page