長谷川光志
ステイホーム記⑤〜黒沢清

「岸辺の旅」を観た理由は深津絵里なんだけど、そのあとに前述のシネマハスラーの黒沢清ゲスト出演回を聞いて、あらためて黒沢清の偉大さとか格好よさについて考えたのね。
そしてドキュメント「曖昧な未来、黒沢清」を観て、そこで黒沢清が言っていた《映画とは何か》が
《ある記録された現実のつながりを、ここが重要なんですけど「大勢の人と一緒に観る」ということですね。これが映画ですね。
あるシーンで人が笑った。俺はおかしいとは思わない。誰も笑わないけど俺はこれおかしいと思う。映像作品を通じて、社会の中で自分はどういう所にいるのかを嫌でも認識する場。それが映画ですね。
(中略)
大勢と一緒に観るという、これを、まあ逆に言うとみんなが笑ってるところで自分もやっぱり面白かった、ああみんなと一体になってるっていうのもありですよ。一体化してるか、孤独か。そういうことを知る場。それが映画ですね。》
これ、ものすごく納得させられて、そういえば同じことを太田光が言ってたなと思い出して、なぜ黒沢明の「生きる」が自分にとって特別な映画になったかというとそれはやはり映画館で観たからで、立ち見でシアターで、そうすると観客があるシーンではどっと沸くと。声を上げて笑ったと思ったら、ラストシーンではさめざめ泣くんだみたいな、つまりたくさんの人と観ているから生まれるノリみたいなものがあって、だからこそ笑って泣かせる超エンターテイメントになるんだって話だったと思うんだけど確かにその通りで、あれを家でひとりで観てたらじっと物思いに耽って観ちゃうんだよね。大笑いはしないんだよね。
で、そこから「じゃあライブって何よ」ということに考えが行って。まったく同じじゃないんだけど気づかされることが本当にたくさんあったんだよね。
ステイホーム期間中、レコ発は飛んじゃうしライブはできないし、おかげさまで仕事は今まで以上に忙しくなった(なんてこった!)のに練習場所は閉まってて大きな声で歌うことはできないしフラストレーションたまりがちだったけど、だからこそ普段できないことに時間を割いてもいいだろってものすごくたくさん蓄えた。蓄えて、深く深く考えたよ。絶対にこの時間を無駄にしないぞって思ってたからね。アーティストは表現しなきゃならないけど、表現の根幹に関わることをぐっと引き寄せて居座らせる大事な期間だったと思う。
音楽で本当に表現するには、音楽をやっていない人の生活も、音楽以外の表現者の生き方も、全部役に立つはずなんだ。
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