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  • 執筆者の写真長谷川光志

セツナ感、雑誌好き



ビッグイシューを売っている人を見ると必ずではないけれど気になる表紙があれば必ず買う。

記事やインタビューはライトだけど興味の入り口になるものが多くていい。価格も妥当だと思うしなにより買った自分も気持ちいいのが良い。


で、思い出す。


新宿西口の高架下で詩を売っている人がいて、いつも予期しないタイミングでふいに遭遇するんだけど、出会ったらつい買ってしまう。(今でもあそこに立っているだろうか)

私の志集という名の詩集を売ってるのは女性で、夜の新宿の雑踏の中、無言で立っている。首から「私の志集」と書いた看板を紐で下げていて、はじめて見たとき気にはなったものの声をかけたり立ち止まったりできずに通り過ぎた。二十歳すぎまで新宿の予備校に通っていたのでたまに目にはしていたけれど、その後もなんとなく気にしながら通り過ぎるだけだった。


あるとき中学時代の美術の先生が都内で個展を開くというので会場設置の手伝いをして、呑みに連れて行ってもらった帰り、新宿西口に彼女がいた。先生や同級生たちと話をしていて一度は通り過ぎたのだが、先生が財布からお金を取り出して「長谷川くん、ああいう人がいたら買いに行かなきゃ!ほら!」と。急かされて走って戻り、はじめて彼女から詩集を買った。そのときの最新号。


表現者は自分の表現を誰かに届けたい。

されたら嬉しいことを人にしなさいというより、アートとかアーティストに対峙したときの自分の態度が、その後の自分の世界を決めるんだというようなことを、きっと表現者である先生は教えようとしたんだと勝手に俺は解釈しているんだけど、とにかくそれから出会ったら必ず買うようになった。そこにいたら買うのが自然なことになった。呑み会の帰り、イベントの帰り、デートの帰り、ふいに出会う街頭の詩人。ひとこと交わして、コピーしたのを自分で綴じた一冊の詩集を買う。まさにセツナの交流はなかなかよいものだった。


話は変わるようで連続しているんだけど、雑誌が好きだ。コンビニに入るととりあえず雑誌コーナーをチェックしてしまう。大きな書店で「こんなジャンルを扱う雑誌があるのか!」と驚いて嬉しくなったりする。茶道、茶器の季刊誌みたいなのとか。買わないけど。でも世の中にはこれを楽しみにしてる人が確実にいるんだな、と気づくのはなかなかエキサイティングなことだ。


人生を変えた映画○○選とか

危ない読書、みたいな本の特集とか

お酒の特集モノ、雑貨やレトロ喫茶モノ。

同じようなのが何度も出るのにそのたび心動かされ、我慢できなければやっぱり買ってしまう。 雑誌には鮮度があって、その鮮度の感じはテレビドラマに似ているような気がする。映画にはないテレビドラマの味みたいなもの。セツナ感みたいな。


雑誌が好き、という話でした。


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