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  • 執筆者の写真長谷川光志

背中

たとえば、


片付けや掃除、毎日の習慣でも、人に思いやりを持てという教えでも、それを「やりなさい」「こうしなさい」って課してるうちはダメだと思うんだよね。口うるさく言えば何回かはやるかもしれない。でもそれは身についたことにはやっぱりならなくて。


自分が率先してやるしかないんだよ。何も言わずに、気づいた人がまず先にやるんだよ。ずっとね。毎日。それを自分の仕事と思って。続けていればいつの日か、見ている誰かも「自分もできることがあるんじゃないか」って気づくときがくる。ということを信じて黙ってやるんだよ。それが教えるとか伝えるってことなんじゃないかと思ってるんだ最近。


言ってもやらないのは、自分がやるべきときだって気づくタイミングがまだ来てないだけなんだよ。気づくタイミングが彼や彼女に訪れるかもしれないなにかを、自分はしているだろうかって考えること。

そしてこれは、どんなことにも通じる問題なんだ。


俺にとっては本当の真実で、なぜなら俺自身が、今になってやっと気づいたからなんだ。気づかせてくれたのは先人が声に出さずに見せ続けてくれた、その背中なんだよ。


やりたくなかったことを自分の意思でやりはじめるとしたら、それは誰かが黙々とやり続けた、汗が湯気になって立ち上るような気魄のこもった背中がその人に語りかけ続けた結果なんじゃないかと思う。


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