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神奈川県-東京−日本

hiroshihasegawa2015@gmail.com

© 2010-2017 HIROSHI HASEGAWA

  • 長谷川光志

まじめなことを書きますよ、あ、いやまじめなというか率直なことを。



社会的なスタンスが違うことと、その人を嫌いになることとはちがうと思うんですね。


僕が原発は廃止したほうがいいって書いたり歌ったりするとして、どうなるかっていうと同じ思いを持ってる人はそうだそうだと言ったり、なにかアプローチしてくれたりするし、反対意見の人は無視したりちょっとイヤミなメッセをくれたりもするんですね。そのあとはだいたいフォロー解除とかそんな感じですよね。それは僕が主張した結果なのでどうでもいいんです、なんでもOK。相手がどんな反応するかはこちらに選択権はなくて、あるとすればどんなふうに主張をするのがよかったかってことくらいで、たいていの場合それは結果論になっちゃうから放っておくと。

一番ひよってるのは無関心を装った無思考の人たちで、現実世界にもネットの中にもいまたくさん漂っていると思うけどそれは僕のよく知っているフレンドの中にもいれば表現者の中にもたくさんいて、まあ要するに自分の意見は持っていないので話題には入ってこれないし、そのうち音もなく離れていくって感じだと思うんだけど。


そこで、考えるわけですねこの感じってなんだろう。

わからないからとか意見が違うから相手を遠ざけるってホント意味ないなと。むしろそんな相手からこそ知るべきことがあるんでは、と。同じ感覚を持った人といるってすごく楽だし安心だし、集まれば大きな力を発揮するじゃない。表裏一体で怖さもあって、周りにそういう心地いい人しかいなくなったら人間どうなるかって考えたら、これはとても怖いわけよ。


原発のことを言うときに、もう善悪じゃないのよ。

社会正義とかでもない。少なくとも俺の中ではそうではない。そういうのは時代によって全部変わることだから。

それよりも、目の前の事実でしかない。原発で作られた電気で不自由なく生きてきて、いざ事故が起こりましたと。明らかに、毒だとわかりましたと。しかも目に見えない毒で、撒き散らしたあと何万年かは大変です。じゃ、あとはヨロシクっていう、このヨロシクはぜんぶ僕らの子どもやその子どもたちに背負わせていくっていうこれはもうれっきとした事実であって、もう覆しようがない確定未来であり現在なわけでしょう。

で、今、自分がどういう立場をとるかっていう、それだけの話。俺が原発はアウトって言うときの根拠はもう断然、それひとつだけだよ。難しいことじゃない。学問とか数字の話ではない。子どもたちが絶対的に背負っていく問題についてなにひとつ言及しないままで果たして俺はそれでいいのかっていう、究極、自分のエゴなのかもしれないけど、でもこれは言わずにはいられないっていう。


アーティスト同士でもそんな話をする機会がたまーにだけどあって、みんなカラーが違うし性質もちがうじゃない。考えなきゃいけない問題だし、とても生活に密着した問題だけど、それを表現の中に盛り込むかどうかは個人のやり方で、アートの中には入れられないんだよって、みんなそんな感じなんだろうと思ってたんだよ。でも話してみて、なんだ、そもそも考えや意見そのものがなかったのか!ってことが少なくないことに、本当に驚いたんだよ。

親戚に電力会社に勤めてる人がいるから、友だちが家族が被災地にいるから、原発で働いてる知り合いがいるから、自分は現地を見たわけではないから、から、から。

で、その先は?その「から」はわかったけど、じゃあ自分はどう思ってるかとなると、からっぽってことがよくあるんだよ。

今からっぽであることはどうでもいいんだよ。だって8年前までは俺もからっぽ、今でも他の大事なことについてはからっぽのままかもしれない。


さて、そのときにロックミュージックは。 それがことの本質で、俺の基盤だということを言うためのブログです今回は。やたら長いけど。辛抱して読んでほしいよ。


原発はがんがん再稼働するべきだってことを心から信じている人がいるとして、その人をSNSで罵ってスッキリしても意味ないのね。なんでその人がそう信じてるのかってことをちゃんと知る必要がある。


なにかを壊すだけならネガティブな言葉で破壊できるかもしれない。追放するのも糾弾するのも。でも、なにかを生み出していくときに必要なのは、ポジティブな言葉なんだよ。もう絶対にそうなんだ。

さっき言った、同じ意見の人が集まったときの怖さのひとつはそういうことなんだ。そぐわないものをみんなで叩きはじめたりする。本当に気をつけないといけないよ、よく知らない人のTwitterの発言ひとつで集中砲火したりして、そうなったら主張もなにもあったものじゃない。意見や考えはときにその人そのものみたいに見えるけど、その人の一面でしかないんだよ。


俺は相手が原発賛成だからって嫌いになりたくもないし、スターバックスが好きだからって嫌いになりたくもない。ファーストフードに一緒に入れなくても構わないし、タバコが嫌いって人ともそれなりに過ごすし、映画の好みが違おうが、メタルしか聴かなかろうが、どうでもいいってこと。

あと「オマエの音楽は最高につまらない」とか言ってくる人がいたらホントいろいろ話したくなっちゃうよ。ムカッとくることもあるよ。でもやっぱり話をしないと始まらないんだよね、すべて。


俺は無宗教だけど、どの宗教の信者だからとか、あの宗派だからってことで嫌いにならないわけじゃん。前になりゆきでとある宗教の集会に誘われてそこで一曲歌うってことになったんだけど、みんな面白くていい人なんだよ。そりゃお決まりでライトな感じで入信をすすめてくる人もいたけどこっちが「いや、ぼくは入りませんよ」って明確に言ってればそれ以上立ち会ってはこないよね。

もしそこでしつこく何度も迫られて、電話とがんがんかかってきて繰り返し誘われたら、それは宗教うんぬんじゃなくてその人を嫌いになってしまうかもしれないってことなんだよね。肩書きとか立場とか考え方とか、そういうのは二の次なんだ。


という俺の考え方って、なにも原発に反対ってことを言うときだけじゃなくて今まで作ってきた曲にも毎回のライブにもすべて共通してること。境界線なんてないし、根っこの部分なんだよ。そこが共通してなかったら続かないよ、どっちもね。


人そのものへ向けてアプローチできて、からっぽのところになにかを作用する可能性があって、意見や主張以前に好みってものがあって、しかも表現そのものが愛であり得る音楽はやっぱりとてもいいよね。

それをやってきたすごい人たちがたくさんいて、カッコいいと思ってきたんだから。だから自分のカッコイイと思える形で、やっていくしかないよねってうことを昨日の呑み会で思ったんです。


昨日はミュージシャン、市民電力取締役、一般社団法人の理事というなんとも不思議な会合に自分もいて、思ったことをなんでも言えるその空気が楽しかった。

その余韻が気持ちよくて、とりとめもなく書いてみたんだけどさ。たまにはいいでしょう、少しずつわかってくるでしょう俺の面倒臭いところも、わりとまっすぐなところも。なんてね。

さあ、何か新しいことを始めよう。

何かポジティブなことを。


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