長谷川光志
0グラム
たとえば「光」という文字
それ自体が光を放つわけではない。
ひとり「愛」と囁いてみても
言葉自体に愛は内包されていない。
「幸せ」も「楽しい」も
「苦しい」もほかのどんな言葉も
それだけを抽出すしたら単なる記号で
重さ0グラムの頼りない記号。
実体不在の器みたいなものだから
そこに意味を注ぎこみ、
存在する意味を与えるのは
言葉を使う人間に完全に委ねられている。
たとえば刃物をどう使うかで
人を生かすことも殺すこともでき、
つまりは刃物を生かすことも
殺すこともできるのと同じ。
人は言葉をどう使うかで
人を生かすことも殺すこともでき、
言葉自体を殺すこともできる。
言葉とは文化でありツールであり
武器であり救済措置でもある。
無ければ困る不便なもの。
たとえば僕が「光」と発するとき
その言葉の後ろに、聞く人によって様々な
輝きをイメージさせるのはまぎれもなく
僕自身に宿る光だ。
「愛してる」に愛が宿るとしたら
僕自身に愛が漲っているからだ。
そうあるように生きるということだ。
言葉に命を与えるのは生き方そのものだし
伝えたいことがたったひとすくいだとしても
伝わってくれと信じる姿勢だ。
言葉はいつでもぎりぎりのところで
生かされて生きている。
人を殺すなんて愚の骨頂だが
言葉を殺すのもまっぴらごめんだ。
盲信もしない、過信もしない。
せめて自分の言葉で
僕に見えている世界と
僕の内側に広がっている世界を
なんとかして伝えきりたいと思う。
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