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  • 執筆者の写真長谷川光志

インフルエンス



どんどん影響されればいい。

侵食されてぐらつく芯ならさっさと消えてなくなってしまえ、だって絶対にそんなことないんだから。


今でも「奥田民生っぽいよねえ」って言われることがあって、そのあとだいたい「いい意味でね。」

全然イヤじゃない、だって弾き語りを始めたきっかけの一人だから。

イエローモンキーのほとんどパクリみたいな曲を書いていた頃にも、イエローモンキーっぽいね、とは言われたことのない不思議。最初は誰かのマネをするものさ、最初からまるきり自分流なんて信じられない。そんな人いるのかな、いるのかもしれないな。でもロックンロールをやってる人の中にはただの一人もいないんだけどね。


トム・ペティが好きすぎて、ある曲のコード進行をほとんどそのまま借りて、これはパクリじゃない、オマージュだとか言って曲を作ったことがあるけど、その曲はただの一度もライブでやらないまま、今じゃ思い出すこともできない。つまりパクリだったんだ。好きってことはそういうことじゃないんだ。影響を受けるってことはそういうことじゃない。でもそんな経験を繰り返すことなんだとは思う。繰り返すうちに好きのほんとうに大事な部分が見えてきて、それが積み重なって自分というものが見えてくると思う。


山本夏彦を読めばそっちに寄り、

アーサー・ビナードを読めばそっちに寄り、

大島渚を、園子温を、東海林さだおを、池波正太郎を…

好きの正体を探す旅の中から、少しずつ、でも確実に

自分というものが姿をあらわしてきてる。

わかった気になっては更新して

どんどん自分になっていく。


最果タヒ「死んでしまう系のぼくらに」を読んで。


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歌と夢

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