長谷川光志
芸術のしあわせ

たとえば僕はシンガーソングライターだから自分で作った歌があるんですね。
そこには自分が書いた詩がのるわけです。
で、CDにしたりする。
そのCDをどう扱うかは手に取ってくれた人の自由なんですよね。
僕が音楽を聴いたり、本を読んだりする。
そこで考えるわけです、この一枚のCDは、この一冊の本はどんなふうにされるのが一番幸せなんだろう。どう扱われるのが幸せなんだろう、と。
僕は想像します。
自分が作ったCDの歌詞カードが何度も読まれて、くしゃくしゃに、よれよれになってたら僕は本当に幸せです。
曲を聴きながら、歌詞を理解しよう、掬い上げようとして何度も何度も歌詞カードをめくってくれていたら。疑問を感じたり共感したりしながら何回もページをめくられていたとしたら、僕は心の底から幸せな気持ちになる。
それから、聞かせたいと思って友人に貸したりする。するとケースに傷がついたり、角が欠けたりとかする。自分にとって大事なCDほどそんなふうにして汚れていくんです。
だから僕は、自分にとって大切なものほど触って触って、手垢がついたり汚れたり書き込んだりボロボロにしたらいいと思ってます。
他の人が手に取ったとして、それに価値を見出せないと思うくらい変えてしまうこと。それは、これを一生涯手放さないという決意でもあるように思います。
デジタル・ダウンロードやサブスクリプションは今、音楽において必要なサービスとも感じているし、利用もする。電子書籍はとても便利だと思います。データには「かさ」がない。デバイスの中で完結するエンターテインメント。僕らのカバンは軽くなるばかりです。
それだけに、僕は自分にとって大切なものであればあるほど、この「かさ」を大事にしたいとも思います。
捨てられない、場所をとる、どんなふうに整理しよう。これは大切なコレクションにつきものの悩みであって、その悩み自体が楽しみに直結している。物理的に場所をとるそれらのものは、実際に手を加えることをしなければ、僕らの生活を侵食してくることさえあるのです。その手間暇こそが、愛情だということもできると思うのです。
僕は、本は本としてページをめくったり戻ったりして読むのが好き。場所を取ってしまうので、持っていくものを厳選しないと今日のカバンの重量が気になって仕方ない「本」が好き。大切な人に本をプレゼントしたいと思うのも、その人の生活の中で、僕の思いがそれなりに場所を取るからなのかもしれない。
自分の曲をCDにするのも、そんな自分の嗜好があるのかもしれないと思う。
単なる僕の経験則だけれど、「音楽を聴きながら歌詞を読む」という、この行為の持っている強さはなかなかだ。そして、そうやって歌詞を追いながら口ずさんだ曲って、忘れたくても忘れられないほど強烈に自分の中に刻まれているから。
くしゃくしゃになってたら嬉しいな。
ほんとにそう思います。
この文章は「トリックスターから、空へ」を読み終わったときに、あらためて感じた思いをもとにして、なるべくわかりやすくと思って書きました。
この本は開かれ閉じられ進んでは戻られ、付箋は貼られページを折られ、くしゃくしゃになってます。感動しながら僕は、太田光さんのそれまでの人生、書いている瞬間のそのときの考え方や精神状態や思想なんかを、なんとか追体験しようとした記録がこの一冊ということになるのです。
どんな芸術を体験するときにも、自分にしかできない体験のしかたがあるはず。
くしゃくしゃにならずにはいられない作品を作りたいと思います。
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