長谷川光志
祖父と腕まくら
夏になると蘇ってくる記憶がある。
それは蒸し暑い午後に、祖父の腕まくらで昼寝をした記憶ー。
寝転がって見上げた天井の染み、目の前の祖父の肌、夏の粘り気のある暑さに時々窓から吹き込む風の心地よさなど、そのときの光景や感覚は今でも驚くほど鮮やかに思い出すことができる。
中学校に上がってからはさすがに一緒に昼寝をすることもなくなったから、あれは僕の小学生時代。今から30年以上前になる。
祖父母は浜松で豆腐屋を営んでいた。北寺島町にある「第一吾妻屋」という店で、祖父が豆腐をつくり、祖母は油揚げを揚げた。
学校が夏休みに入って、孫が遊びにくることを祖父母はとても嬉しがった。休みの前に電話で「いつ来るか」と聞いてくる声から、心待ちにしているのがよくわかった。
浜松に帰ると毎日、店の仕事を手伝う。豆腐のパック詰め、油揚げの箱詰め、洗い上げに店番もした。祖父は大きな百貨店やオートレース場などに豆腐を卸しに行くのに必ず僕を連れて行く。そこで周りから「ぼくお手伝いして偉いねえ、また大きくなったねえ」とちやほやされるのを見ているのが好きだったんだと思う。
午前中の仕事がひと段落すると遅い昼飯を食べる。一杯飲んだあと、祖父は毎日僕を昼寝に誘った。
二階の一番奥の和室、万年床となった布団に横になると、左腕で腕まくらをしてくれる。そして僕の顔を見ながら、眠りにつくまでのまどろみの中で、決まって同じことを言うのだった。
「学校でいじめられてないか。」
いじめられるもなにも、仲のよい友だちと遊んだり喧嘩したりして過ごす学校生活は絶好調でしかなかった。
「うん、大丈夫だよ。」
「勉強は頑張ってるか。」
「うーん…まあまあかな。」
「友だちはどうだ。」
「たくさんいるよ。みんな楽しい。」
そんな会話をひとしきりしたあと、最後に必ず言った。
「困ったことがあったらなんでもじいじに言え。ひとりでも電話してこい。光志に何かする奴はじいじが許さんでな。」
僕が「うん」と答えて少しすると、すうすうと寝息が聞こえてくるのだった。
子どもの頃のほんの数年間の記憶だが、当時を思い出すたびに不思議な気持ちになる。それは「守られている」という絶対的な安心感みたいなものだ。無条件に注がれていたその幸せは、それが幸せだと認識できるようになる頃には雲のように散って消えてしまう。それが、大人になるということだ。
祖父は喧嘩っ早くて一度怒り出すと誰にも止められない難しい人だったけれど、間違いなく僕のことを愛していた。僕もまだ子どもで、祖父の言うことに口答えすることもない時期だったから、波風も立たず、また人生の荒波も壁も知らない僕をすべてがあたたかく包み、守ってくれていた。今から思えば本当に幸せそのものの時代だった。
景色は変わり、僕も大人になっていく過程でいろんなことが起こった。祖父は晩年、引っ越してきた僕らの家にある階段の最初の一段を上っては下りる運動を繰り返した。「歩けなくなったらみんなに迷惑かけるでよ」と、自分に言い聞かせるように言っていた。
そして一緒に飲むと必ず泣いた。
泣きながら「兄弟仲良く」そして「お母さんを大事にしよ」と口癖のように言った。