長谷川光志
ああちゃんのこと
なぜか祖母のことは「ああちゃん」で、祖父は「じいじ」と呼んでいた。じいじがああちゃんのことを呼ぶときは「チャコ」だったけれど、ああちゃんの名前は久子だった。
ああちゃんは体が小さくて愛嬌があって「うんうんそうだね」とよく相槌をうつので流されやすいように見えるものの芯の極めて強い人で、そして抜群に可愛らしかった。
祖父母は浜松で豆腐屋を営んでいた。ああちゃんの言葉を借りれば「一徹」極まりない、しかも喧嘩っ早く気難しい主人が黙々と豆腐をつくる隣で、いつでもちゃきちゃきと油揚げを揚げていた。
休みで浜松に帰ると、この揚げたてに醤油をたらして食べるのがお気に入りだった。
豆腐屋は一階が仕事場、二階が住居になっていた。二階へ上がる急傾斜の階段をとんとんと軽快に上がって「ひろくん手伝ってやー」と起こしに来るのはああちゃんの役目だった。還暦を過ぎてもその調子で、息を切らさず駆け上がってくるのを見ては「大したもんだ」と孫ながら感心していた。
晩年は、いつまでも音楽に熱中している俺のことを内心どう思っていたのか、どれほど心配していたか今となってはわからないが、俺の前ではいつも「ひろくん、本当に、頼りにしてるでね」と言い続けた。期待と懇願が一緒になった顔で。
ああちゃんのことを思い出すと、俺の中にはいつも後悔が立ち上がり、その後ろから楽しい昔の思い出たちがやってくる。
知らせを受けて駆けつけた病院のベッドの上で、意識があるのかないのか、とにかく耳だけは最期まで聞こえているからたくさん話しかけてあげてという看護師さんの言葉を頼りに、もっともっと伝えておくべきだった言葉を耳の奥に向けて何度も投げた。俺から一方的に届けることしかできず、彼女が伝えたかったであろうたくさんの言葉は今、想像するしかなくなってしまった。
それはその後の自分にとっての大きな戒めであり、ああちゃんが最後に教えてくれたことでもあった。「その日」が来たときに後悔しないために。祖父の最期のときもそれを忘れずに良い時間を過ごした。今、家族ともそう、友人たちとの付き合いも、そしてこと音楽で言えばどんなライブでもあとで後悔することのないように、やり方とベストはそのときどきで違うけれど、あとで心が後悔をしないように。
「後悔しちゃいかんにー」
空からそう言っている声が聞こえる。
いつでも声はあのときのままで、聞こえてくる。