長谷川光志2020年9月13日読了時間: 1分こころ心に負った傷が痛んで、疼いて、それが続いてもうダメかもしれないというところまで耐えたとき、君の近くに君と同じように痛みに耐えている人がいることに気付くだろう。そして、その人のために何かできることはないか考えるはずだ。そのとき「こころの超回復」がおこる。前よりも強く、優しい君になる。想像することの前には常に体験がある。それを繰り返して少しずつ大きく、深い君になっていく。#日記 #詩 #こころ #心 #ポエム #poem #優しさ #想像力 #イマジネーション #シンガーソングライター
心に負った傷が痛んで、疼いて、それが続いてもうダメかもしれないというところまで耐えたとき、君の近くに君と同じように痛みに耐えている人がいることに気付くだろう。そして、その人のために何かできることはないか考えるはずだ。そのとき「こころの超回復」がおこる。前よりも強く、優しい君になる。想像することの前には常に体験がある。それを繰り返して少しずつ大きく、深い君になっていく。#日記 #詩 #こころ #心 #ポエム #poem #優しさ #想像力 #イマジネーション #シンガーソングライター
祖父と腕まくら夏になると蘇ってくる記憶がある。 それは蒸し暑い午後に、祖父の腕まくらで昼寝をした記憶ー。 寝転がって見上げた天井の染み、目の前の祖父の肌、夏の粘り気のある暑さに時々窓から吹き込む風の心地よさなど、そのときの光景や感覚は今でも驚くほど鮮やかに思い出すことができる。 中学校に上がってからはさすがに一緒に昼寝をすることもなくなったから、あれは僕の小学生時代。今から30年以上前になる。 祖父母は浜松で豆
レアンカルナシオンこれは間違いだ、ということは間違いがなかった。 「わたしはどこかで道を間違えたんだ。」とはっきり彼女は思った。ただ過去のどの場面で、どの選択を謝ったのかはすぐにはわからなかった。 数えきれない選択のすべてを《正解》で数珠つなぎにしたような、私が歩むべき理想のコースがあって、それをあるとき一歩踏み外したのだ。その一歩がどれだけ致命的であるかを思い知った。 踏み違えたポイントを起点にして、あとはどれだ