長谷川光志
After 3.11〜小出裕章さんのこと
更新日:2019年10月3日
生き方を変えるほどの出会いは人生で何回あるのだろう。
実際に会ったことがなくても、その人の生き方が自分の中の何かを変えることがある。そして実際に自分の行動を変えていくことがある。
それを教えてくれた一人が「小出裕章」さん。
3.11のあと、原発のことが気になってずっと調べていた。本当は、何が起こっているのか。「安心、安全である」というアナウンスしかなされない時ほど、怪しい。
おそらくこれが、小出さんを知った当初に見た動画だと思う。(音量が大きいので見るときはボリュームに注意)
3.11は原子力、核の恐ろしさの他にたくさんのことを教えてくれた。人間には信頼できる人と信頼できない人がいる。その人の語り口、眼差し、態度から見極めろ。その人が歩んできた道のりから見極めろと。
小出さんは「わたしは原子力に夢を抱いてこの道に飛び込んだ人間です」といつも言う。そしてあることに気付いて、自分の生き方を180度変える決断をする。《原発は都会では決して引き受けられないリスクを田舎や過疎地に押し付けて成り立っている》。それは《差別》の考え方そのものだと。
原子力の専門家として原子力を廃絶するために定年まで研究を続け、各地でその危険性を発信し続けた。恐ろしいのは小出さんがまさに人生を捧げ声を上げて続けてきたその活動を、事故が起きるまで(いや事故が起きてもしばらくは)、全く知らなかったことだった。
歩みがどれだけ厳しいものだったろうかと想像を巡らせた。たとえば集会でどんなに推進派を論破しても、社会全体は原子力を正当化していた。政治とメディアと、それを信じていた(というかきちんと知ることを放棄していた)国民の総体が一致して原発を正義に仕立てていた。小出さんは「わたしには仲間がいたから寂しくはなかった」と言うかもしれないけれど、もし自分がその立場だったらと考える。どんなに発信を続けても変わらない社会。耳を貸さない人、関心のない人。その虚無感の中で、自分の人生を賭けてその道を貫くことができるだろうか。そのときの寂しさや頼りなさはどれほどだろう。
想像することは、歌うたいである自分にとてつもない勇気をくれることでもあった。
いま存在している原発を背負うのは、どうしたって子供たちやこれから生まれてくる未来の子供たち。
小出さんはその子供たちに向かって、正面から謝る。原発を無くそうと手を尽くした人が、面と向かって謝っている。こんなに誠実な人がいるのかと思った。
今この時点で即刻、原発をすべて廃炉にしても電気は一切不足しません。
そもそも今日より明日、今年より来年と、どんどん電気を使わなければならないというその考え方自体が間違っていると思います。
これは電気の問題ではなく、すべての人にとって「生き方」の問題だと思います。
戦争で負けたとしても国破れて山河あり、大地さえあればどんなに苦しくても人はやってこれたのです。しかし原発がひとたび事故を起こしたら、その大地さえも奪ってしまう。
こういう言葉ひとつひとつが心に住み着いている。
信じられる言葉から学ばなければ。
自分が正しいかどうかなんてわからない。少なくとも自分の頭で考えて、考えられるだけのことは知ろうとして、逃げずに判断をして、これからを背負う子供たちに禍根を残すようなことだけはしたくないと思う。
ちなみに俺、エスカレーターは使わないって決めてるんだけど、それは小出さんの影響なんだ。「本当に必要な人はどんどん使ったらいい。でもわたしは幸い健康で、歩ける足があるので、わたしは階段を歩きます」と言っていた。目からウロコだった。それ以来、自分の足で歩いている。どんなことでもそう。まずは自分ができる身近なところから。遠い向こう岸まで繋がっているのだ。
ひきついで、繰り返して、だんだんよくなる。
音楽好きならみんなわかってるはずのこと。
P.S. 小出さんもお酒好きで、「命の水」と呼んでるんだって。それ知ってちょっと嬉しかった。