長谷川光志
2019.3.11

「あの日を忘れない」とは、あの日を起点にして始まったことが、今日このときにも現在進行形で続いていることを忘れないことだと教わった。あの日があったからこそ出会えたたくさんの人たちから教わった。
自分にできること。
自分にしかできないこと。
何ができるのかを問いながら、これからも自分で間違ってないと信じられるやり方を貫きたいと思う。
何を選んで何を伝えるかは、もはや「音楽」や「原発」というフェーズを超えた、生き方の問題だと思う。
今を生きるすべての個人にとって。
そして自分の頭で考えて行動を起こすことができるすべての大人にとって。
当たり前のことをシンプルに。
俺は伝えることを諦めてはならない。
評価やリアクションは人が決めることであって、自分が頼るべき軸は、それを選んだことを未来の自分がどう思うかということでなければならない。
悔やむのか、本当はそんなふうではいたくなかったんだと開き直るのか、仕方がなかったんだと弁解するのか、それとも俺は自分のやり方でやり続けたんだと胸を張って言えるのか。
3.11があって目覚めた自分の中のもう一人の自分にとって、もうこれはコマーシャリズムから遠く離れた「生き方」の問題になっている。
たくさんの、特に同じ業種のみんなが同じようにアドバイスをくれたけれど、これは俺のどうしようもない性分なんだ。
心から愛するミュージシャンや、心から尊敬できる人たちを思い浮かべて、俺は間違っていないと思えることをいつも自分に問うて追い続けて、間違っていなかったということをいつの日か証明できると思ってる。
「あなたは夢想家だと言うかもしれない/でも君ひとりじゃないんだ」
本当にただそれだけのこと。それだけが本当に一番大切にしなければいけないことなんだ。

3月10日は東電刑事裁判の結審を前に開催された「厳正判決を求める全国集会」
登壇された方の話はすべて胸に刺さるものだったけれど、開会に寄せて佐藤和良さん「3月11日が近づいてくると心穏やかでなくなる。フラッシュバックする。心が塞いでくる」と。
聞いていて本当に心が苦しくなった。
時間が解決することもあれば時間とともに積み重なっていくこともあるんだと。
最後に「真実は隠せない」を歌った。そのあとまた考えた。ずっと考えている。考えていない時も心の中にはずっとそれがいる。